
「自分のことを諦めるような『普通』の人になりたくない」
子供の頃、そう思うことがあった。
わざわざ「普通の人」をイメージするということは、子供の頃の私にとって「自分の可能性を信じて動き続ける大人」というのは尊敬すべき存在というよりもむしろ逆に「変な大人」として奇異で軽蔑すべきものだったのかもしれない。
反面教師を思い浮かべるとき、本当に憎んでいるものはその反面教師ではなく自分が向き合っているものであることは珍しくない。
20代の頃はがむしゃらに努力する私を「頑張れ応援してる」と優しく微笑みかけながら滑稽なものとして扱う人が多く、私はそういった人たちには今も嫌悪感を抱いているが、その嫌悪感は子供の頃の私が感じていた今の私のような大人に対する軽蔑から生まれていたようにも思える。
そんな私だが、妊娠期間中は収入面だけでなくライフスタイルや、夫、家族、友人たちとの関係など、これまでの自分の努力の結果を実感できることが多かった。
過去の自分の努力の結果を享受しておきながら、過去の自分に感謝しないというのはあり得ない。
人から「努力家」「頑張り屋」と言われるのは今でも嫌いであり、そうした言葉をかけられるのは私の活動の主旨に反するとさえ思う。
しかし妊娠したことによって子供の頃の軽蔑心が和らいだのか、年齢を重ねても理想が低くなることもなければむしろ年齢を重ねるにつれて自分の志がどんどん明確なものになっていくという自分の素晴らしい性質を受け入れられるようになった。


