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「人はただいるだけで価値がある」論の合理的な理由

私が妊娠したことを夫はもちろんのこと双方の両親も、友人たちも大喜びしてくれた。

妊娠中は散歩をしているだけで人から優しい言葉をかけられることもあった。

それこそ、

「元気な赤ちゃんを生んでね!」

と、知らない人から野菜や果物をわたされることもあった。

私のお腹の中にいる子供が一体どんな子供なのか、私にすら分からないのだから夫も両親たちも友人たちも私に優しく接してくれた通りすがりの人たちにも分かるはずがない。

にもかかわらず、ただ私のお腹の中にいるというだけでこの子はたくさんの人から祝福されてきた。

今、日本だけでなく世界規模で少子高齢化が進んでいるらしく、これは人類史上初めての現象でもあるらしい。

それこそ「経済」という言葉が生まれる前から経済の発展は人口の増加、子供の誕生によって支えられてきた側面もあるため、少子高齢化は世界経済に大きな打撃を与えるであろうことが予想されるのも当然だ。

そして逆に身近で子供が生まれれば例えそれが知らない他人の子供であっても、人は社会全体の景気がよくなることを予感する。

「経済」というくくりで語ってしまうとどうしても人間味のない無機質な話にとらえられてしまいがちだが、昔から子供が生まれ成長することが慶事として扱われてきた背景には経済的な合理性があったのかもしれない。

私のお腹の中いるだけで娘はたくさんの人から祝福された。

そしてそれは本人に記憶がないだけで私や夫、私の身の回りの人たち、今この世に生きている人、これまでに生きてきた人もただ生まれてくるだけで社会的には慶事として扱われてきたのだと思う。

「人はただ生きているだけで価値がある」

これはあながち単なる精神論ではないのかもしれないと、何かと理詰めで考えようとする私にたくさんの人から祝福される娘は教えてくれた。


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