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無力感

自国の戦死者数は敵国の悪を非難するために語られ、敵国の戦死者数は自国の勇を誇るために語られる。

ということを私は「項羽と劉邦」を書く中で学んだ。

戦争に限らずあらゆる争いごとにおいて善悪の判断を下すためには双方の意見を聞かなければならないというのは正論だと思う。

だから日本人の私が今回のウクライナでの戦争について本気で善悪を判断しようとするのであれば、ロシア語を習得し、日本で見る報道とロシアでの報道を同じ時間をかけて見て初めてスタートラインに立てる。

当然私にはそんなことは不可能だ。

かといってただ「得られる情報に限りがあるから善悪の判断を下すことはできない」と言うのは優柔不断、下手をすればただ斜に構えいかにも自分は賢い人間だということをアピールするだけに終わる。

西側の国、日本に生まれ、日本に暮らす私はどうしても西側の人間でいざるをえない。

ならば西側の人間として何ができるかと言えばせいぜい募金をすることとSNSで声をあげることくらいになってくる。

しかし募金については先日依頼のメールが届いたが産後安定的に仕事をすることができず収入が少ない今はどうしても募金をすることができなかった。

ならば声をあげるしかないのだが、私のSNSのエンゲージメントは今もとても低い。

こうした声は数が集まることだけでなく、一つ一つの声が大きくなることに意味があるのだが、今の私が自分のSNSのアカウントで平和への祈りを投稿したところで安っぽいキャラ演出にしかならず売名にすらならない。

8年前、私はミスコンに出場し、自分の可能性にもっと挑戦しようと思った。

その決断に後悔はなく、自分なりにできることは全てやってきたと自負しているが、それでも作品が人から全く興味を持たれなかった時は自分の無力感を嘆いてきた。

そして今も低いエンゲージメントを嘆いている。

善悪の判断を下すスキルはない。

さらに金も出ない、声も小さいとなると自分のこれまで積み上げてきたものの価値の現実に直面せざるをえない。

私はあまりにも無力だ。

これほどにも無力となると外交や歴史については西側の人間としてある程度持論を展開することはできるかもしれないが、そこにいる人たちについて語ることはできない。

私はそれを自覚した上で西側の人間でいようと思う。