音楽の中で最も原始的なものは歌であり、それに打楽器、管楽器、弦楽器が続く。
『史記』の廉頗・藺相如列伝には、秦王が趙王との会談の場で趙王に、
「両国の友好の証として、瑟を演奏していただけないか」
と言い、実際に趙王に瑟を演奏させたところ、今度は趙王の家臣の一人である藺相如という人物に、
「両国の友好の証として、秦の音楽である缻を叩いて演奏していただけないでしょうか」
と迫られ、秦王は断ることができずに演奏するというエピソードがある。
秦王は自国の優位性をアピールするために趙王に音楽を演奏させたのだから、
「こっちがしてあげたんだからそっちもしてよ」
という理屈で迫られるのは当然都合が悪いのだが、秦王がその要求に応じるのをためらったのはそれだけではない。
趙の音楽に秦の音楽を返すということは、弦楽器による趙の演奏に対し、秦は打楽器での演奏でしか返せないということを意味し、それは自国の文化レベルの低さを外交の場で他国に晒すということでもある。
他にも『史記』をよくよく読んでいると、
「秦ってせいぜい瓶をぽんぽん叩いてるだけのことを『音楽』と呼ぶような国だよね笑」
といった話が他国からの侮辱だけでなく、自国内から自虐としても出てくることがあり、こうして外交にまでそれが表れているのを見ると、秦人の音楽に対するコンプレックスが強かったのかもしれない。




