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私の「努力家」という性分

先日退院しました。
久しぶりに書斎の自分のデスクに向かう。

人から「努力家ですね」と言われることにトラウマがあり、今でも克服できずにいる。

それでも私が努力家であるのは確かなのだとも思う。

どうやら他人が評価として言う「努力家」と私が自分自身に感じている「努力家」は意味が全く違うらしいため、他人が私に下す「努力家」という評価にトラウマがあるのは仕方のないことだが、だからといって自分の性分を否定するのは間違っている。

若い頃は自分を傷めつけるような努力でもそれなりの結果が出せたのかもしれない。

しかし30代に入ると日々自分の心と体のケアをしていかなければならないため若い頃のような無理ができなくなってくる。

その上で先日出産を終えた私はこれから新しい生活を築いていかなければならない。

こうして今、夫や娘、家族と温かく穏やかな日々を楽しめるのは「努力家」な私がこつこつと日々努力を積み重ねてきたからこそ実現したものだ。

なればこそ、私は自分の「努力家」という性分を受け入れ、感謝する必要があるのだと思う。

そうすることで仕事での成功も温かい家庭も両方実現できる。