石板にコピペできるかどうか
誰もが日々何かしらの形で書く文章と私のように表現手段として選んだものが文章だった場合の違いは「石板にコピペできるかどうか」ではないだろうか。 …
有意義な暇つぶし
誰もが日々何かしらの形で書く文章と私のように表現手段として選んだものが文章だった場合の違いは「石板にコピペできるかどうか」ではないだろうか。 …
育児以外の喜びも一緒に喜んでくれる人の存在が、世俗から離れた勤行のような日々の中の慰めとなる。 …
仕事で嬉しかったことを一緒に喜んでくれる人がいる安心感。 …
嬉しかったことを安心してシェアできるかどうかは自分らしく働けるかどうかに大きく影響する。 …
そうしたもやし話にはもやし話程度のことしか理解できない人間が集まるものでもあることを、私は同じくらい知っている。 …
映画にしろ小説にしろ漫画にしろ音楽にしろ絵画にしろ、
「こう思わなければならない」
などと考えながら消費するのは疲れてしまって味わうどころはなくなってしまう。
正解を求めることなく作品を楽しめる勇気が芸術を解する感性を裏付ける。 …
ネットで書く中でついた悪い癖。 …
「感想を抱く自由」があるという前提のもと、あえてそこに隠された「正解」を当てに行くスリル感も私は好きだ。 …
だから「周りから浮いている」という感覚は確かにポテンシャルなのかもしれない。 …
「芸術」は目指すところありきで今楽しむことで成り立つ。 …