「女なのに三国志好き」
「経営学部なのに中国に留学」
「勤労妊婦」
「普段着として着物を楽しむ人」
こうした形で自らマイノリティになる選択を、私はこれまでに何度かしてきた。
そうした選択をすることを人から賞賛され、いい気分になったことは正直何度もあった。
だからといって周りと異なる点を指して「個性」と呼ぶことを、私は嫌う。
過剰に尊ぶのも排除するのも、ある異質なものに対する反応だ。
そのため異質性を以って尊ぶことが正しいのであれば、同時に異質性を以って排除するのも正しいということになるのではないだろうか。




