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「思いやり」と呼ぶには無理がある

もう何年もの間、私はSNS上でたくさんの女性を「消費」してきた。

私が「消費」と呼ぶのは彼女たちの人間性を否定してきたという意味ではなく、所詮数秒スマホの画面を指でなぞる程度の行為に「思いやり」を込められると思うことの方が無理があると感じたからだ。

所詮数秒、スマホの画面を指でなぞるだけ。

そんな私が彼女たちが投稿する写真に写っている人や、その写真の関係者、もっと言えば投稿内のリンクをクリックする人、何度もイベントに足を運ぶ人たちに勝てるわけがない。

仮にリンクをタップし、イベントに行くことがあったとしても、自分よりもその回数が多い人と張り合おうとするほど私は愚かでもない。

「回数ではなく気持ちの強さ」という考えを全否定するつもりもないが、かといって下手に気持ちの強さを表現するよりもさっさと勝てるわけがないと諦め、「消費」と割り切って閲覧した方がよほど健全だと、1年1ヶ月の間、トルストイのことも指先で楽しんできた私は思うようになった。

数字が全てではもちろんないが、数字が気持ちの強さを表すこともある。

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