私にも「音楽を通した国際交流経験」が多少はある上に、弾きたい曲が弾けた時の快感や達成感を味わったこともあれば、各種宴会の余興担当として役に立ったこともある。
しかしそれらは33歳の夏にモーツァルトの「トルコ行進曲」で「アジア的なもの」を見た時の衝撃に比べれば「習い事程度でもピアノをやっていてよかったこと」の中でも些末なものでしかない。
音楽経験によって得られるものははあまりにも自分の生活や価値観に溶け込みすぎ、混沌としているため、他人に説得力をもって話すのが難しい。
逆に「理解されない寂しさ」は習い事程度であってもピアノをやっていたからこそ味わうことになったデメリットかもしれない。




