
評価されているかどうか。
肩書きがあるかどうか。
そうしたものは、人を判断する材料にはなります。
でもそれは、本当に自分の選択を決める基準なのでしょうか?
権威はあくまでも権威であって、今とこれからの自分の価値そのものではないのです。
2015年のラスボスが破壊したもの

歌謡曲に特に興味があるわけではない私にとって小林幸子という歌手は、
- 紅白で衣装が派手な人
- ミューツーの逆襲の人
というイメージしかない、「とりあえずすごいらしい歌手」でした。
- 紅白に出た
- 大会で勝った
- 受賞した
そうした経歴は市場、そして他者との関係性の中では確かに価値を持ちます。
しかし、自分が好きなことを極めたい、自分の理想のライフスタイルを実現したいといった個人的な選択には、本来影響力を持ちません。
権威性の有無は何もしない理由にはなりえないのです。
2015年、コミケにサークル参加したラスボスによって、それまで私の中にあった「プロ」と「アマ」の境界線は破壊されました。
「まだ何者でもない」という感覚

これから何かを始めようとする時、そして同時に、まだ自分は何も持っていないという時、
- 実績がない
- 評価されていない
- 肩書きがない
といった理由で、結局諦めてしまうことがあります。
しかし実績や経歴、そして権威は本来自分の目の前にいる人を判断する材料の一つでしかありません。
何もしなければ得られるものでもなく、具体的に何かに着手してはじめて得られるかどうかが問われるものなのだから、今の自分の価値を権威の有無によって測ってはいけません。
権威とはあくまでも街のようなもの

人の流れの中で、地理的に都合がいいなどの理由でなんとなく人が集まるようになった場所に街はできます。
権威は街に似ています。
何らかの理由でなんとなく集まった人たちが、信頼を積み重ねた結果、権威としての形を持つようになるのです。
だから人が集まり街が生まれることに意味があるように、権威が生まれることにも意味があります。
そうした人の集合体に自分が実際に属するかどうかの選択は自由です。
でも、それが自由であることと自分自身の価値は本来全くの無関係であることは忘れてはいけません。
自分の価値は自分で決める

権威性を得ることで、人から信頼されるようになることはあります。
それによって、自分の願望が思うように遂げられるようになることもあるかもしれません。
だからそれを目指すことは間違っていません。
ただ、自分の都合に合わせて街を行き来するのと同じように、権威も手段の一つであることを忘れてはいけません。
自分の価値は、どこに属しているかではなく、何を選び、何を積み重ねているかで決まります。
その選択肢をどう使うかは自分次第です。


